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大井町 昭和から今

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2017-01-19

第8回 品川たんけん隊の集い

平成23年3月26日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 第1講習室
津田さんをお迎えして、お話していただきました。

tsudasama.jpg幅広くご活躍中の津田さんをゲストにお迎えして、昭和初期の滝王子と題して、滝王子地区を中心に、LinkIcon伝単のお話など伺いました。
(伝単の詳細は、当ホームページ資料室にございます)
ナビゲーターは、長久保さんにお願いいたしました。

★伝単のこと

SANY0002.JPG津田さん
なにしろ滝王子で生まれて、滝王子で育ったもんですから滝王子を中心にお話したいと思います。
先ずは、お手元にあるLinkIcon伝単の件なんですが、伝単というのは中国語で物事を伝える紙切れなんですね。で、戦時中に相手国の国民あるいは兵士の戦意を喪失させるような文を書いて敵地あるいはその国へ撒いたものなんです。
お手元の資料にありますのは、昭和19年7月に撒かれたものを、たまたま私が拾って、憲兵やおまわりさんの目をかすめて、ずっと持っていたんです。
僕がいなくなってしまうとこれもゴミになってしまうので、昨年、品川歴史館に寄贈させていただきました。復刻版はできてますが、現物が残っているのが、それ一つです。
私の青春を思い出させる貴重な資料ですし、できるだけ多くの方に知っていただきたいと思って機会があるごとにお見せしております。

★大井滝王子町の名前の由来

tsudasama.jpg津田さん
大井滝王子町についてですが、大井の名前の由来ですが、大井はもちろんご存知の通り興福寺の裏の井戸、了海上人が産湯を使ったという井戸が起源でございます。それから、滝王子は江戸時代に滝という方の私有地で、滝耕地と言われていた。そこへ滝さんが、お稲荷さんと王子権現を祀ったんです。滝さんが祀った王子権現ということで、滝王子になったと。稲荷神社というのは、五穀豊穣、商売繁盛の神様で赤い鳥居と白い狐がシンボルでございます。権現というのはですね、昔、仏教が伝来して神仏混淆(習合)の時代があって、その思想の中から民衆を救う神として仏の仮の姿として権現なわけです。今、滝王子に王子権現はございませんけども、それが滝王子のもとでございます。大井の稲荷には赤い鳥居も白い狐もありませんけども。
それから、池の中に石が積んである島がありますね、あそこには弁天さまがあったんです。
あと、お稲荷さんには、樹齢何百年のタブの木がありますけれども、あのタブの木というのは暖かい土地に育つもので、だいたい海岸ぷちにあることが多いんですね。あそこにタブの木があるということは、あの近くまで海岸があったんじゃないかと。それの一つの証拠としては、大森貝塚ね、あそこは海岸だったんですから、そんなに遠くないから、おそらく近くまで海があったんじゃないかとそういうことも考えられるわけです。

★鹿島町の名前の由来

SANY0003.JPG津田さん
それから、鹿島町の由来については、大井村の鎮守さまとして鹿島神社があったので鹿島町になったわけですけども、昔は鹿島谷と言ってましたよね。で、あの鎮守さまと言うのは、その村を守る為に軍隊がいた所にその守護神を祀ったのが鎮守なんですね。そこで、住んでた人たちが共同で祀る神様が氏神さまでそのお祭りに参加するのが氏子なんですね。

★昭和初期の滝王子通り

SANY0002.JPG津田さん
私が憶えているのは小学校へ入学した昭和8年頃、その頃に滝王子の通りは舗装されてね。作業員は、コールタールで汚れて真っ黒になった長い前掛けをかけて、どじょうすくいをする時のようなザルで、いわゆるバラスって言って、砕石、石を砕いた1cmから5mmくらいのザラザラしたのを撒いて、それにコールタールをかけて、またバラスを撒いて、コールタールをかけるといういわゆる簡易塗装でした。
でまた、滝王子の通りはお医者さんが非常に多くて、ま、早く言えばクリニック通りですね。大井第一小学校の前が紋谷小児科、それから大井眼科があって大井警察の右側に森永内科、その二、三軒行った先に安沢胃腸科が、あったわけです。それから二軒程先に吉田外科というのがあって、その隣が私の親父がやってた津田歯科。なにしろ、ずーっと医者の通りだったんですね。
SANY0003.JPG長久保さん
なんでお医者さまが、そこに集中しちゃったんでしょう?
SANY0002.JPG津田さん
どうしてなんでしょう?わからないんですね〜(笑)

★札場の名前の由来

tsudasama.jpg津田さん
高札を立てた場所というのは、江戸から京都へ向かってって大きな辻、あるいは橋のたもとの手前の右側と決まっているんですね。明治29年に全廃されましたけれども、中原街道沿いの旗の台の昭和大学病院の東病棟のちょうど前側あたりに昔ここに高札があったと言う石碑と立て札を見た覚えがあるんですよ。
※昔は、大井第一小学校前のバス停は札場と言われていたそうです。

★品川用水の名残

SANY0003.JPG津田さん
私の子供の頃には、滝王子の所をくぐる用水が流れていたんですよね。今の伊藤学園の裏の方から、ずーっと来て、昔、武蔵屋の酒屋(今はセブンイレブン)の所から曲がって滝王子の下をくぐって、お稲荷さんの水と合流して鹿島交番の前から鹿島谷へ抜け出るこの道が、幅1.5mくらいある川だったわけですね。夏になると我々はモチ竿(とりもちをつけた竿のこと)を持って、トンボとりをするメッカだったんです。これが暗渠(あんきょ)になったのはね、昭和10年頃じゃないでしょうか。暗渠になって、広い道になりましたよね。

★当時の消防署

SANY0002.JPG津田さん
で、消防署が当時、お稲荷さんの右側にありました。現在は左側にありますが。昔は火の見櫓(ひのみやぐら)が建ってて半鐘(はんしょう)がぶら下がってて。近い火事だと、カンカンカンカンと遠いとカーン、カーン、カーンと鳴らして知らせていました。その消防署のすぐ左側には、清水が湧き出るような野菜の洗い場がありましてね。で、大井の名産は、にんじんですよね。荏原はタケノコですけれども。

★鹿島交番の前にできた道

tsudasama.jpg津田さん
鹿島交番の前の所からJRの下をくぐる広い道がありますね。あれができたのが昭和10年頃です。私が小学校の頃、この工事現場へ変わった石を拾いに行ったもんです。でもね、その時は大森貝塚が近いのにね、貝殻は一切、出てこなかったですね。

★立会川の魚河岸

SANY0003.JPG津田さん
それから、学校の脇をずーっと下って行くと、立会川の国道を渡って、旧国道を渡ると、当時はすぐに海だったんですね。それであの、青い海にね、青い空、そこに午後になると白い帆掛け船がずーっと上がってくんですよ。
その帆掛け船にね、鉄製のマンガ(マンガン)ってねクシをひっぱって歩いて、それで蟹だとか蝦蛄(しゃこ)をカレイだとかコチだとか、そう言うものを獲ってくるんです。ですから、それが上がってくると立会川の川岸は魚河岸にできるわけです。ちっちゃな魚河岸が。で、2時頃になると、そこへバケツを持って、よく買いに行ったんです。
その頃、バケツ一杯の蟹や蝦蛄が50銭ですよ。今じゃ考えられませんけど。
まぁ、蟹の話が出た所で、月夜の蟹は身がないというのをご存知ですか?
確かにそうなんです、軽いんですよね。それはなぜかと思ったら、蟹が月の光が怖くてえさを食べられないんだそうです。月夜の蟹は栄養が足りないから身が少ない。だから、見かけだおしで実がない・・という例えにも言われているわけなんです。
SANY0003.JPG長久保さん
あんまり言われたくない話ですね(笑)
SANY0003.JPG津田さん
あとね、帆掛け船が入ってくる情景を思わせるイロハ四十八文字の歌(とりな歌)がありましてね。
鳥啼く声す夢醒ませ 見よ明け渡る東(ひんがし)を
空色映えて沖津辺(おきつべ)に 帆舟群れいぬ靄のうち
これはね、イロハ四十八文字でできてるんです。これは1903年(明治36年)に小学校の先生だったかなぁ~?坂本百次郎が作った歌なんですよね。小学校の高学年の時に父親から教わってね、小さい頃に記憶したから、よく憶えているんでしょうね。

★当時の物価

SANY0003.JPG津田さん
つづいて当時の物価ですが、はがきが2銭、封書4銭、そば10銭、カレー12銭、牛乳8銭、コロッケ3銭、で、紙芝居が1銭。
SANY0003.JPG長久保さん
牛乳が高いですね?
SANY0003.JPG津田さん
そうねぇ、あの当時、牛乳は貴重品だったから。
牛乳と卵は貴重品でしたね。
で、円タクがありましたよね。東京市内どこでも1円。で、僕なんかはよく滝王子から潮干狩りへ行くのに手の指を開いて止めて、50銭で穴守(あなもり)まで行ったんです。
SANY0003.JPG長久保さん
円タクを値切ったんですか?
SANY0003.JPG津田さん
その頃は、円タクは値切れるんですよ。ええ。
(3本指を立てて)これで30銭。
円タクは後ろに3人は楽にかけられて、助手席の裏にバタンと補助席みたいなのが出てきて6人や7人平気で乗れたんです。

大井町の歴史と共に、以下の当時の日本での出来事も合わせてお話しいただきました。

当時の思い出のある事件と出来事

★昭和4年8月19日、ツェッペリン伯号飛来。
★昭和5年、帆船日本丸進水。
★昭和6年、羽田飛行場開港。満州事変勃発。奉天暴動。清水トンネル開通。
★昭和7年、満州国独立。5.15事件。白木屋の火災。
★昭和8年、12月23日、皇太子(2011年現在の天皇陛下)誕生。「青年日本の歌」流行。
★昭和9年、忠犬ハチ公の銅像建立。
★昭和10年、「もんぺ」の流行。
★昭和11年、2.26事件。「阿部定」事件。前畑優勝。国会議事堂竣工。
★昭和12年、盧溝橋事件。→支那事変(日中戦争)→南京陥落。
★昭和13年、木炭自動車。徐州、広東、武漢三鎮占領。
★昭和14年、ノモンハン事件。双葉山破れる。
★昭和15年、紀元2600年。ゼロ戦。勝鬨橋完成。
★昭和16年、太平洋戦争。真珠湾攻撃。
★昭和17年、4月8日B-25来襲。ミッドウエイ海戦。関門トンネル開通。
★昭和18年、ガダルカナル撤退。山本五十六戦死。アッツ島玉砕。
★昭和19年、マリアナ海戦惨敗。各地で玉砕が続く。東京空襲。

滝王子について大変詳しくお話しいただきました。何気なく通り過ぎていた滝王子稲荷や池が身近に感じられます。しっかりした構成とユーモアを交えたお話しで、あっという間に時間が過ぎました。楽しいお話しをありがとうございました。





***** 豆知識 *****




▼伝単

dentanetc_0005.jpg

LinkIcon資料室

▼滝王子稲荷神社

100102takioji2.JPG滝王子稲荷神社
100425 (1).JPG 滝王子稲荷にある富士講
IMG_0386.JPG滝王子のタブの木

▼鹿島神社

15.jpg鹿島神社
honden.jpg鹿島神社本殿
01.jpg鹿島神社鳥居

▼舗装工事

s21.jpgバラス(バラストの略)土木用語。道路、線路などに敷く砂利のこと。

img_his_p03_07.jpg石炭を高温乾留して得る油状の液体。

コールタールLinkIcon

▼中原街道沿いの高札場跡

826.jpg高札場の跡地にある石碑と立て札

▼暗渠とは

地下に埋設された河川や水路のこと。
下水道工事などで見かけるコンクリート管などが該当する。水はけを良くする為に農地の地下に整備されることもある。

▼モチ竿

鳥モチ(モチノキやクロガネモチなどの樹皮をすりつぶして作る粘着性の強い薄い茶色の接着剤)を竿の先に塗って小鳥や昆虫を捕らえた。数日間持続するほど粘着力は強い。鳥刺し竿とも呼ばれた。

▼半鐘

IMG_0403.JPG滝王子出張所半鐘

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▼火の見櫓

LinkIcon詳しくはこちら

▼マンガ

マンガという器具(クマデのような機能を持った大きなワク組み)を取り付け、 船で引き、砂を掻いて捕獲する鉄製の仕掛け。

問答河岸跡

問答河岸跡.jpg問答河岸跡
問答河岸由来.jpg問答河岸の由来

▼とりな歌

書道のお手本として、現在も使用されている「とりな歌」というものがあります。
「いろはにほへと」の変型版であり、同じように一文字一回しか出てこない歌です。
明治時代、万朝報という新聞社で、「旧来のいろは歌に代わる【新しいいろは】をということで、仮名48文字1回ずつをつかった歌を募集し、選ばれたのがこの「とりな歌」だったのです。 「とりな歌」と略称されたこの「とりなくこゑす」は、1903(明治36)年、「萬朝報」が、「いろは」の歌に代わる新しい「国音の歌」を募集したとき、1等に選ばれた作品です。作者は埼玉県児玉郡青柳村の坂本百次郎。坂本百次郎は数学を専門とする教員でした。

▼円タク

entaxi.jpg1円タクシーの略。市内どこまで行っても1円均一というタクシー料金システム。1924年(大13)に大阪で、26年には東京で始まった。交渉しだいで50銭、30銭と割引もされた。●写真は、江戸東京博物館にある昭和6年製フォードのA型セダン4ドア右ハンドル

青年日本の歌(昭和維新の歌)
 汨羅(べきら)の淵に波騒ぎ
 巫山(ふざん)の雲は乱れ飛ぶ
 混濁の世に我れ立てば
 義憤に燃えて血潮湧く