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大井町 昭和から今

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2017-01-19

第7回 品川たんけん隊の集い

平成22年11月27日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 第2講習室
菅井さんをお迎えして、お話していただきました。

SANY0003.JPGシルバー大学の講師をされている、現在85歳の菅井康郎さんをゲストにお招きしました。
中原街道を通して大井町と関わりの深い五反田についてのお話をしていただけることになりました。第6回の集会に参加された時の印象などからお話が始まりました。
ナビゲーターは、伊東さんにお願いしました。

 昭和14年に叔父様の経営する菅井計器の隣に(現在の西五反田)札幌から移られました。
当初は、目黒川の臭いにたいへん驚かれたそうです。
駅の周辺は物凄く賑やかで大崎広小路から駅まで出店が連なっていたそうです。
昭和18年頃は、歴史のある武蔵小山商店街も物資不足により商売に成らず、荏原郷満州開拓団が結成されました。800人以上の人々が戦渦に巻き込まれましたが、その帰国者たちにより復興されたこと。仕掛け人梅安の小説の舞台は中原街道平塚橋周辺であることなどに触れられました。 
2部では星製薬のお話に移り、経営方針や、株式を特約店に販売したこと。社員の方達に、昼は会社、夜は学校、休校日は経営者教育を行い、福利厚生としての星商業学校を設立したこと。温水プールがあり、講堂も当時のまま現在も残っていることなどを伺いました。
星一の逸話として、大学在学中に伊藤博文の渡米時の案内を務めたり、野口英夫ら苦学生に資金協力をしたこともうかがいました。
労働組合も組織させますが、第一次大戦時の麻薬製造で裁判となり評判を落とし、その後の労働紛争などで経営不振となり、戦災にて工場も焼けかなり縮小されたそうです。
その後、星は戦後1回目の選挙にて全国区トップ当選となります。星薬科大学の講堂横には、現在も星一の胸像が残されているそうです。
現在、星製薬は大谷グループの100パーセント持ち株会社であること、作家の星新一氏は、息子さんで本名は星親一氏ということなど、いろいろなエピソードを織り交ぜながら、五反田探訪『中原街道と星製薬』のお話は続きました。
以下に菅井先生にお持ちいただいたガイドを掲載いたしました。

五反田探訪

ー中原街道と星製薬ー

〔1〕はじめに

●時代設定 昭和14年上京から戦後昭和40年頃まで

・上京の経緯と町の感想
・賑やかで活気に満ちていた五反田
・太平洋戦争による町の変貌

〔2〕中原街道について

『品川区を南北に約4.3km縦断し、港区虎ノ門と神奈川県平塚市間約60kmを繋ぐ中原街道は、現在も主要な幹線道路として人々の生活を支えています。
 江戸時代では、東海道の内陸側に位置する中原街道も脇往還の一つとして旅や物資の移動などに使われ{相州街道}{御酢街道}などと称されました。
 また江戸時代初期には街道沿いに小杉御殿(川崎市)と中原御殿(平塚市)が建てられ、徳川家康や秀忠がしばしば鷹狩りに訪れるなど、政治的観点から見ても重要な道でした。』

品川歴史館特別展展示ガイドより

●都内に残る『旧中原街道』

・西五反田6丁目〜平塚橋
・旗の台(西中延3丁目付近)
・大田区、田園調布付近
(1)五反田付近
   ガードを潜る 桜田通り 都電4番
(2)桐ヶ谷坂付近
   星製薬前から桐ヶ谷坂上まで(現在はホテルルートイン五反田から)
  東京オリンピック前の道路改修、高速道路設置による大きな変化
・新桜田通りと第2京浜国道(都営浅草線)
・首都高速、目黒線(旧・目蒲線)
*中原街道の改修工事の流れや時期については、はっきりしない。
  昭和18年頃(第2京浜国道の工事)が完成時期か?

〔3〕星製薬株式会社について

・日本一の製薬会社
・五反田駅ホームから煙突のネオンサインが見えた

★星 一(ほし はじめ)と星製薬の盛衰
 ●星 一
  明治6年(1673)福島県いわき市(当時の錦村)、豊かな農家の生まれ。
  小学校優秀、小学校教員養成所、小学校教員
  神田、東京商業学校入学(全国無銭旅行)21歳で卒業
  300円で渡米。サンフランシスコ
  コロンビア大学入学、日米週報、ジャパンアンドアメリカ発行
  明治34年 卒業(28歳)
  明治37年 帰国(31歳)
  家庭薬 湿布用イヒチオール製造、販売。莫大な利益(原料はガス製造の廃液)
  明治41年 衆議院議員(35歳)
  明治44年 品川区西大崎に星製薬株式会社(38歳)
        株式の民主化、自動機械、福利厚生、特約店組織、子弟教育など
  大正3年頃より 麻酔、沈痛、催眠用アルカロイド→モルヒネ国産
          後藤新平の後援、阿片戦争後の政争、無罪→会社経営不振
          南米ツルマーヨに31万haのコカイン栽培計画(ケシの実)四国の面積に相当
  昭和26年 ロスアンゼルスで病死(77歳)

 ◇星製薬の敷地は、現在のT.O.C.施設、元第一日野小学校校地、現五反田文化センター敷地を含む  広大なものであった。
 ◇T.O.C.(東京卸売りセンター)は、首都高速道路の整備に伴い横山町の問屋街がビルにまとまっ  たものである。

●星の邸宅は、第2京浜国道の戸越銀座通り近くにあった。(現在はマンション)
 マンションになるまで、息子の作家『星 新一氏』が住んでいた。

〔4〕おわりに

     ご清聴に感謝します。

お話のスムーズな流れと絶妙な時間配分で、興味深いお話をたくさん聞かせていただきました。何気なく通り過ぎていた五反田や星製薬が、今までより身近に感じられます。
楽しいお話をありがとうございました。





***** 豆知識 *****




▼星製薬

1910年に、SF作家星新一の実父である星一が創業し、1936年に星製薬株式会社(旧法人)が設立された。しかし、戦後になり、経営不振に陥り、後を引き継いだ星新一は、ホテルニューオータニを創業した大谷家へ譲渡を余儀なくされる。
現在の法人は、旧法人の星製薬株式会社(現・株式会社テーオーシー)から、1982年に販売部門を、2003年に製造部門を、それぞれ移管された子会社の星製薬株式会社(2代目)である。
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