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大井町 昭和から今

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2017-05-10

第10回 品川たんけん隊の集い

平成23年9月10日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 第1講習室
小池さんをお迎えして、お話していただきました。

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■今回は、公私にわたり深いご縁のある
小野学園のお話を中心にうかがいました。

 私は、現在は山王と申しますけど、新井宿三丁目の熊野神社の近くで生まれ育ちました。
終戦前には当時の大井寺下町にあった京南家政女学校(現在の小野学園)を紹介されて、昭和23年、13歳の時に初めて大井女子中学校(現在の小野学園女子中学校)の生徒になりました。

 小野学園は、創立者である小野安之助先生が、初代の理事長として昭和7年に学校を創立しました。その前身は奥様(進子先生)と共に、将来は必ず女性の社会進出の時代が到来することを予感され、大正9年に本郷菊坂町の御自宅で、近隣の子女を集めて「小野女塾」という私塾を開いたのが始まりとお聞きしています。
小野学園の歴史については、学園が創立70周年の年(平成15年―2003年)に発行された
「小野学園校史」に詳しく紹介されています。

そうそう、昭和20年には空襲で校舎が全部燃えてしまったんですね。それで近くの都立第八高等女学校(現在の都立八潮高校)の教室をお借りしたりして、移転先を探しておられたようです。戦後すぐに「日本光学」の大井製作所跡地と工場の一部を購入することができたそうです。現在の小野学園の場所ですね。
私達の入学式は買ったばっかりの日本光学の工場の中で行われました。グランドは、いろんなものを埋めたあとで、でこぼこしていて使えない状態でした。
教室らしい教室もまだ無く、機械をどけて3人座れる木の机を並べて、機械と機械の間で勉強をしました。工場は3階建てだったんですね。そして工場の中も柱だらけでした。天井も真っ黒でした。床はコンクリート。壁も真っ黒で、どこをさわっても真っ黒、と言う感じでした。そういう中で入学式をして、勉強をしながら、お掃除の時間は天井まで拭いて、真っ白く綺麗にして、そのうちお掃除をする人が入ってやっと綺麗になりました。
私が小野学園に入学したのは、その頃、進駐軍がずいぶん入って来ていて、品川の方にも女学校がありましたけれども、「電車で行くのはあぶない」と言う事で、歩いて行ける学校をと、親が探してくれて入学しました。
中学校に入った時は、「大井女子中学校」と言う名前になって、着ていく制服は、近所に昔、大井高等家政女学校(小野学園の前身)に通っていたおねえさんのお下がりのセーラー服に、青い線の入った、青いリボンのセーラー服を着て通いました。

創立者ご夫妻が亡くなられたあとは、ご長男の小野時男先生が、理事長、校長として引き継がれました。昭和23年には、大井小学校(現在の小野学園小学校)と、大井幼稚園(現在の小野学園幼稚園)も設立されました。時男先生の奥様のミヅヱ先生が初代幼稚園園長として担当され、その後お二人で力を合わせて、学園も大きく発展を遂げたように思います。
小野ミヅヱ先生は幼稚園園長でしたが、当初は中学校の「家庭科」の先生もされていました。また、時男校長先生は私達の「化学」と「数学」の先生でもあり、お二人とも私を育てていただいた恩師なんです。

 その後、ベビーブームの影響でだんだん生徒が大勢になりまして、私の高校時代は、中学と高校だけで、3,000人位いました。ほんとに、嘘じゃない話なんですけど(笑)
あの広いグランドに生徒がいっぱいになり、並びきれなくて、朝礼があっても朝の体操ができないんですね。朝礼が終わって、教室に入って行くのも順番で入って行くので、それが、ものすごく時間がかかって(笑)
その3,000人位の生徒が、毎朝大井町の駅から歩いてくる登校時間が、1時間位かかって、道幅いっぱいになって歩くので、ご近所から電話が殺到しまして「なんとかしてくれ」というわけです。それで、時間帯を区切って登校したり、また下校の時もクラス別に時間をおいて帰っていました。
私はその頃は、雨の日とか行事の日以外は、電車では通わなかったんです。大森山王の坂を越えれば、すぐ学校でしたから、自宅から徒歩で通っていました。それで、父が「歩きばっかりじゃ、大変だろう」と言って、ツートンカラーの空色と白に塗られた、すごく素敵な自転車を買ってくれたんです。それに乗って学校へ通いました。
クラブ活動はグランドホッケー部に入りました。時男校長先生は、イギリスの女子高を模範にして、日本の女子の高校としては初めて「グランドホッケー部」を創設したそうです。私は今の生徒ほどお行儀の良い生徒ではなかったので、クラブ活動のホッケーの練習帰りには、お腹を空かしていて、帰りはもう真っ暗でしょ? 帰る途中にパン屋さんがあって、コッペパンにジャムをつけてもらって、
それをかじりながら帰りました。  
大井町に出た時は、東小路にあるラーメン屋さん。永楽って言ったかしらね。今もありますよね。
あそこへ寄ってはね(笑)
 おかげさまで、とても楽しい学生時代を送りました。ほんとに、嫌なことは何一つ無く、小野学園に入って本当に良かったなって、いまだに思います。

 それから学校を卒業して、時男先生が「また、学校へ戻ってこいよ」とおっしゃってくださったんです。私も「学校へ戻ろうかな?」って思ったんですけど、母が「それよりお嫁に行く支度、女中奉公にでも行きなさい」と言う事で、うちの三軒先に山本有三氏の家があったんですね。
今は、マンションになっています。そこへ母に連れられて行ったんですけど、ご挨拶だけして帰って来て、「どうしても小野学園の方でグランドホッケーをやりたい」と言ったら、「ホッケーやったらお転婆で貰い手が無くなる」なんて言われましたけど。
 時男校長先生のお言葉掛けが嬉しくて、昭和29年より幼稚園の先生として学園に勤務し、放課後は自分のホッケーの練習をしながら、後輩たちの練習も手伝いました。ホッケーをやらせてもらったおかげで、すごく体も丈夫にもなりました。
その頃、ホッケーって、かなり費用がかかったんですね。スティックも日本製が無かったので、インドから取り寄せたりしていました。その頃、東京で女子のホッケー部は成城学園と学習院と朝日新聞社女子チームしかなかったものですから、すぐに東京代表になれちゃったんですね。国体には昭和何年だったかな?第5回の国体だったかしら、できてすぐに国体に出ましたら即優勝しまして、それからずっと十何年続きましたかね。国体に出て、ほとんど優勝して帰りました。
始めの頃は、学校内で合宿をして練習をしていました。夜になると学校の机を並べて、家から布団を運んできて、その上で寝ました。あの当時はお米が自由じゃなくて、お米も家から持ってきて、それで合宿練習をしました。時男校長先生は、お家に帰るということがない程、朝早くから、夜遅くまで見に来てくださって、ご自分のご家族のお世話はできなかったんじゃないかな・・・と思う位、一生懸命やってくださいました。
その後、山中湖畔に「小野学園山中湖セミナーハウス」ができ、近くのグランドで合宿練習をするようになりました。当時、冬季になると山中湖は結氷してアイススケート場ができていました。それで、冬の合宿では「アイスホッケー」も練習をしました。

私は結婚後、体を悪くし入院することになり、学園に迷惑をおかけしては申し訳ないとの思いで、残念ながら退職をしました。

時男先生は、今の校舎が出来上がる前に、体調を崩され寝付かれましてね。その頃、私は子育ても終わり、校長、園長先生のお家へよく遊びに行っていたんですよね。幼稚園をやめてから何年でしたか・・・。また、「家の方へ来たらどうか」と言われまして。「子供は大きくなったんでしょう?」と言われまして、「家のお手伝いさんが急に北海道の方へ帰っちゃって、留守をする者がいないから困っている。来てくれないか?」と言う事で、私は「主人とよく相談をしてみます」と言って。それで、主人と私とミヅヱ先生と校長先生と4人で相談しまして、私がお手伝いすることになったんです。何かのご縁があったんでしょう。また、小野先生にお世話になることになりました。

62年間でしょうかねぇ・・・。13歳の時から小野学園でお世話になって。校長先生が寝付かれてからもずっと側でお手伝いをしました。その時には、本当にいろんな思い出話をしたりしました。まだ、学校に出ていらっしゃったときには、校長先生として見ていますから、あー、校長先生だ!という感じでしたけれど。寝付かれてからは、家の食堂の所でテレビを見ながら、いろんなお話しをお聞きした想い出があります。
時男先生は、平成16年11月に、ミヅヱ先生は平成20年8月にご逝去されました。

現在は、ご長男の小野時英先生が、跡を継いで5代目理事長・4代目校長として幼稚園、小学校、女子中学・高等学校を見ていらっしゃいます。
来年は小野学園も創立80周年を迎えます。私も小野学園の卒業生の一人として元気に来年お祝いの年を迎えることを今から楽しみにしています。

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  ▼学校の名称変更

▪1932年 - 京南家政女学校として開校
▪1938年 – 大井高等家政女学校と改称
▪1946年 - 大井高等女学校と改称
▪1947年 – 大井中学校設立
▪1948年 - 大井女子高等学校と改称
▪1957年 - 小野学園女子中学校、女子高等学校と改称

小野学園について大変詳しくお話しいただきました。今回初めて、女性のゲストをお迎えして、なごやかな楽しいひと時となりました。ありがとうございました。



*** Memo ***


小野学園女子中学・高等学校

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小野学園についてLinkIcon

小野学園ホッケー部

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小野学園ホッケー部は、昭和29年の創設以来、日本の高校ホッケー部では一番古い59年の歴史と伝統があります。