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大井町 昭和から今

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2017-01-19

第13回 品川たんけん隊の集い

平成24年5月19日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 講習室

hirose4.jpg今回のゲストは、広瀬志げ子さんです。
三ツ又のお地蔵様の近くでとんかつ割烹
ひろせ」をなさっています。
大井町の三ツ又商店街の変遷などについて
お話をうかがいました。
LinkIconとんかつ割烹「ひろせ」

hirose1.jpg広瀬さん
一言で申し上げて、ほんとうに変わりました!
私の子供の頃には、うちの前の三つ叉の通りの細い道をバスが行き来しておりまして、軒下すれすれの所を通りまして、ご存じと思いますが踏切の前の電信柱に人が挟まれて亡くなったことがございました。
それで一方通行になりました。裏の道を下がるほうに、向こう側の道をを上がる方になりまして。
それから今の大井陸橋の所が全部、山でした。
大井第一小学校へ行くのに、あそこを横切って行ってたんですよね。
長久保
山というのは?
広 瀬
今の陸橋のあたり全体が土の山でした。
土の山になっていた所が全部壊されて陸橋になって、あの広い道になったんですけど。
区画整理になったのは、昭和35年か36年・・40年くらいか・・42年に踏切のそばに、店が建ったんでその頃だと思います。
4丁目の倉田の後ろの細い道は今のパスチャーさん、あの横の道が、ずっと行って続いてたんですよね、今の陸橋の所へ。で、お稲荷さんの所から大井第一小学校へ行ってたんです。
踏切からずっとくる細い道はなくて、崖だったんですよね。
伊 東
三つ叉商店街の範囲というのはどこまででしょうか?
広 瀬
三つ叉商店街というのは踏切の所からお地蔵さままでの間がそうです。戦前は、現在の渋谷楽器のところに日活館という映画館のところまでを三つ叉と言っていた気がします。
今は、お地蔵さまから大井第一小学校の方へ続いている商店街を本通り商店街と言っています。
中通りというのは、この地域センターの前の道ですね。森前の郵便局のあたりまでを商店街っていうのではないかと思います。
また、庚申塚の通りは、もっと細い道でした。
三ツ又商店街には、昔、狭い二間間口くらいのお店が何十件もありました。
区画整理で立ち退きになりましたけど。
今のパスチャーさん、前は飴屋さんで、それからケーキ屋さんでしたけど、向かいに十全社(じゅうぜんしゃ)さんっていう万年筆屋さんがあったんです。
今、ヴィアインホテルになっていますが、あそこにもバラックの小さなお店が3列になってありました。少しづつやめたり、引っ越したりで私達の遊び場になっていましたけど。
あと、マルタカ十銭ストアというのもありましたね。
広 瀬
その頃の三つ叉は、下駄屋さんなんかはおじいちゃん、おばあちゃんが鼻緒をすげてたりして、その人にあったのをすげてくれたりしてました。
傘もパラソルじゃなくて番傘みたいな紙のね・・。
参加者
下駄屋さんは、藤井さんでしたか・・おせんべもらったりしてお世話になった思い出があります・・。
参加者
日本光学へ行ってたんで、帰りには広瀬へ寄って、汁粉を食うとか・・ラムネを飲むとか集まってました。若いときには。それは戦前です。昭和17年頃かなぁ?
広 瀬
ああ、そうそう甘いものやってたんですよね。
その頃は、高田屋さんって今、お寿司屋さんやってるとこありますよね、
三つ叉のファミリーマートのならびの、あのあたりに戦前はいたらしいんですけど。
平 林
広瀬さんのお店のお話をうかがいたいんですが、荒川屋さんというのは広瀬さんですよね?
広 瀬
そうです。
父が洋菓子とか和菓子とか今のファミリーマートの後ろの方で、やってて戦争で焼けちゃって、おともだちに電車道のそばのところをゆずっていただいて、そこでお菓子をやってたんですけど、お餅とか。だんだん時代の流れでそれだけでは食べていけなくなって、ラーメンとか焼きそばとか流行のものにうつって、そして区画整理になって建てなおしまして、とんかつがいいんじゃないかというので、それとお刺身とかで割烹として始めて。
で、そこも今のヴィアインホテルになるので、現在の場所へうつりました。
現在は、和菓子の道具もありませんし、当時のレシピもなにもないんです。
平 林
従業員さんは?
広 瀬
戦後は、かなりの人数がいた時期もありましたね。
長久保
その頃の阪急百貨店さんはどうでしたか?
広 瀬
阪急は、カネボウの化粧品の工場でしたね。砂利をひいた前庭があって今の阪急よりずーっと奥にありました。今の阪急さんの場所は、カネボウの衣服の方の事務所になっていました。
参加者
化粧品の前は、織物をやっていましたね。その織物を染める染料で立会川が青くなったり赤くなったりしてましたね。
東海道線をくぐってずっといってたんですよね、立会川は。
長久保
今の駅前の公衆トイレのあたりが川だった?
広 瀬
そうです。現在は、暗渠になってわかりませんが。城南信用の前を通ってずっと川でした。で、お盆のお飾りなんかも流しに行きました。
台風がくると必ずあふれてね〜。

広瀬さんのお話はここでおしまいです。
三ツ又商店街やその周辺のお話をうかがいました。楽しいお話しを有り難うございました。
また、多くの方々にご参加いただき、誠にありがとうございました。



*** 豆知識 ***


▼三ツ又商店街を通るバス
mitsumata2.jpg

マルタカ十銭(テンセン)ストア
昭和5年に、高島屋が十銭均一売り場を設けたところ好評だった。そこで翌年6年に“十銭ストア”と銘打った店を開いた。見事に大当たり。大阪のみならず、ついに東京進出。最盛期には106店にも達したという。
この十銭ストアの誕生した昭和6年といえば不景気のドン底。一寸やそっと廉売したぐらいでは売れない時に、雑貨、小間物、化粧品、台所用品すべてを十銭と掲げたところに庶民の心は動いた。
主にサラリーマンや工場勤務の人たちが多く住む地域を狙って出店し、扱い商品は食料品・日用品・洋品類など数千品目に及んだ。のちには「高島屋十銭二十銭五十銭ストア」となり、諸般の事情で昭和7年以降は出店が中止された。

▼作守稲荷
大井4丁目には作守稲荷。もともと薩摩藩抱屋敷内にあった屋敷神。慶応年間(1865-1868年)、この抱屋敷跡を島津家から譲り受けた太井村の平林九兵衛が、稲荷社のあたりを開墾。
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▶藤井履物店の店先

S07fujii.jpgお話の中にでてきた藤井履物店さん。 現在は、閉店されています。

▼荒川屋
明治末頃に「荒川屋」という屋号で創業。4代を受け継ぎ、現在の『ひろせ』に。

▼昭和50年代の三ツ又商店街図
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