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大井町 昭和から今

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2017-05-10

碑文谷道をあるく旅2

不動前駅→五百羅漢→蛸薬師→比翼塚→目黒不動→林試の森公園→円融寺

国内旅行が自由でなかった江戸時代、寺社参りに多数の町人が出かけた。碑文谷の古刹円融寺や目黒不動も多くの人で賑わった。円融寺参りの道が碑文谷道だった。
DSC_0032.JPG五百羅漢寺の再起地蔵尊
五百羅漢寺は、元禄8年(1695年)松雲元慶が、本所五つ目に開基、開山は鉄眼道光。
宗派は、黄檗宗だったが現在は浄土宗系の単立。山号は天恩院。本尊は釈迦如来。300体以上の羅漢像を祀っている(当初は536体あった)。当初は本所五つ目(現在の東京都江東区大島)に在り、徳川綱吉や吉宗が支援したが、埋め立て地にあったためか度々洪水に見舞われて衰退、明治時代に目黒に移転した。

SANY0001.JPG蛸薬師

LinkIconたこ薬師 成就院

SANY0002.JPG蛸薬師由来

SANY0004.JPG比翼塚
比翼塚 鶴屋南北作「浮世柄比翼稲妻」「其小唄夢廓」の登場人物。白井権八が鳥取藩を逐電、吉原で小紫に入れあげ金に困って殺人強盗の挙げ句鈴ヶ森で磔刑。小紫が逃がそうとするが捕らえられる。(権上)東昌寺の僧が埋葬、その墓の前で小紫が自害、比翼塚が建てられた。

DSC_0029.JPG目黒不動の水掛不動
目黒不動/龍泉寺 15歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄りました。その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し、国を鎮めんと思うなり。こぞって我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げ、夢覚めた後、その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのにはじまります。(ご尊像は秘仏として12年に一度、酉年にご開帳されます)
その後、大師は唐の長安にある青竜寺の不動明王を排し、先の神人がこの明王であると分かり、帰朝して堂宇を建立します。
SANY0005.JPG青木昆陽の墓
境内には、甘藷先生・青木昆陽の墓があります。青木昆陽は西日本で普及していた薩摩芋の試験栽培を小石川、幕張、九十九里で行い、享保、天明の飢饉で大勢の命が助かったとされ、甘藷芋御用掛から1739年 大岡忠相配下の御書物御用達方に任命される。


SANY0007.JPG本居長世の碑
DSC_0042.JPG林試の森
林試の森 1900年6月農商務省林野局により目黒試験苗園として開設。1978年つくば学園研究都市へ移転後、1989年都立公園として開園。

SANY0008.JPG円融寺
 碑文谷道 (ひもんやみち)を示す道標には、「ひもんや」という地名を刻んだものと、「にをう」とか「仁王尊 (におうそん)」と目的地を刻んだものがあります。碑文谷道の目的地は「法華寺 (ほっけじ)」後の「円融寺 (えんゆうじ)」でした。現在、目黒区碑文谷一丁目の円融寺の地には、今から約1150年前、平安時代前期の仁寿 (にんじゅ)3年(853年)に天台宗の法服寺が建立されたといわれています。その後、弘安6年(1283年)、日源上人によって日蓮宗に改宗され、寺の名称も「法華寺」に改められました。室町時代の最盛期には寺域が3万坪余、坊舎が18、末寺が75ヵ寺に及んだといいます。教義「不受不施 (ふじゅふせ)」のため、江戸幕府から改宗を命じられ、元禄11年(1698年)再び天台宗に戻り、天保5年(1834年)に寺の名称も「円融寺」に改めました。

SANY0013.JPG円融寺仁王門
円融寺には、黒塗りの仁王像があり、「碑文谷の黒仁王さん」として、あらゆる願いが成就するといわれ、天明 (てんめい)7、8年(1787、8年)頃から寛政年間(1789年から1800年)にかけて、江戸庶民の信仰をあつめ、お参りする人達で大変賑わいました。この仁王像は永禄2年(1559年)の制作で、東京都有形文化財に指定されています。
 さて、この碑文谷道の道筋ですが、品川宿から円融寺へ行く道筋を道標や江戸時代の絵図などから推定しますと、次のような道筋が考えられます。南品川宿の南馬場から西に向かい、日本ペイント(株)正門脇に、享保21年(1736年)、南品川庚申講中の人びとによって建てられた目黒道と碑文谷道の分かれ道に建てられた道標があります。さらに直進しますと、現在、東海道線の下をくぐるガードがあり、碑文谷架道橋の銘板がついています。さらに西に向かいますとかつては直進する道がありました。(現在はJR東日本車輌センターへの線路や横須賀線で直進できません)そして貴船神社の南を通って平塚橋付近に至り、小山2丁目の朝日地蔵堂付近(地蔵の辻と呼んでいた)ところに着くと「左 仁王尊」「右 不動尊」と刻まれた道標があり、そこから仁王尊道の方へ行くと円融寺に着きます。SANY0011.JPG円融寺本堂

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町あるき雑感
曇り空の一日でしたが、コース後半から小雨まじりの歩きとなりましたが、見所の多い町あるきでした。五百羅漢寺の本堂は、いつ行っても圧巻!一見の価値あり。また、本堂手前の再起地蔵尊のかわいらしいお顔に癒されてきました。