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大井町 昭和から今

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2017-05-10

第14回 品川たんけん隊の集い

日時:平成24年7月21日(土)
   午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 講習室1

goda2.JPG 今回のゲストは、合田榮一さんです。
大井阪急の開店当初から大井どんたくの事まで詳しいお話をうかがいました。

 いきなり、どんたくの話をいたしますけど。どんたくが一番盛んだったのは昭和52〜3年なんです。世の中バブル景気が始まろうという時だったんですね。
どんたくの旗振りをやっておりました当時の、お話を一つご披露いたします。
その年は、梅雨明けが遅くて今日(平成24年7月21日)のような天候(曇り空で時々、小雨)で、会場をセッティングしてどんたくの準備もできて皆さんもスタンバイしてる。
ところが天候がこんなで、やろうか?やるまいかで商店街の皆さんも警察も関係者みんなで、どうしよう、どうしようということで、最終的には午後4時には決めなくちゃならない。そこで一計を案じ、靴を蹴ってお天気占いをいたしました。靴は上を向き、開催の運びとなりました。幸いなことに雨も上がり、どんたくはうまくいきました。
 今日は、そのような裏話ばかりをいたしますので、よろしくお願いいたします。
阪急の進出というあたりから、順を追って面白いことを中心にお話したいと思います。
 昭和28年に阪急は出店したんですけども、カネボウの事務所跡の1階と2階だけでオープンしてるんです。1階といいましても線路側の方には建物が無くて、開店当時は狭いスペースでした。それでも新聞で取り上げられ、皆さんにも評判が良かったのが、牛肉とパンだったんです。パンの評判がなぜ良かったか?と言うと、建物の4階に工場を持ってたからなんです。焼きたてのパンをすぐに出せる・・今なら珍しくないインストアベーカリーのスタイルだったんですね。で、前回の集いで広瀬さんの和菓子のお話が、懐かしかったんですが、昭和28年当時はパン屋さんが町の中にそんなに無かった時代だと思います。そんな時代に焼きたてのパンをすぐに食べられる、そして洋菓子も和菓子も作ってたということで好評だったですね。
 また、牛肉については大阪の阪急の本店では、上階の食堂のカレーライスが名物でした。今で言う神戸牛、農家に依託して育てた但馬牛を食堂で使い、また牛肉として売ってもいました。今では珍しくありませんが、当時としてはおいしい牛肉が評判をよびました。今でも、農家で育てたものを売るとか、阪急で作ったものを売るとかいうシステムは、まだ残っています。ブランド名が変わっているかもわかりませんが、お茶、昆布、漬け物、カレーの缶詰なんかも。品質が保証できて、多少安く販売できるということでご愛顧をいただいていたと思います。
 次に、昭和29年に第1回の大井どんたくを開催した・・とあります。
最初は、アワーズイン阪急の前の線路側のスペース、阪急の敷地内で芸能人を呼んできたりして、やりました。2回目、3回目からは旧公会堂(現きゅりあん)の前の広場でやりました。そこでも、芸能人をよんでいました。阪急グループは東宝とか宝塚と姉妹関係にありますので、ずいぶん呼びました。この写真には、林家三平が写っています。宝田明とかクレイジーキャッツなど今でも活躍している有名人が来ていました。歌手の方では、ハワイアンが流行っていたせいかそういったグループなども来ていました。阪急としては、町の祭りとして育てていくというつもりだったので、少しづつシフトを変えていきまして、芸能人中心だったのを、まだ30年の最初の頃に商店街の主だった方と店長が一緒に博多まで飛んで、博多どんたくを見て、翌年からこれをやろうと言うことになったんです。少しづつどんたくも盛んになっていって、阪急の売場も少しづつ広げていったんですね。カネボウの事務所をそのまま使っているというような事情から、昭和35年頃は、売場にクーラーが無く、氷柱に扇風機という時代もありました。
 昭和40年頃にやっと増築を重ねて百貨店としての体裁が整ってきました。
その頃のお話ですが、昭和35年から40年くらいの間、安保の関係で、世の中は物騒な時代でした。投石に備えて、百貨店の外側にゴルフのネットを張り巡らせるなどということもありました。
 道路も完全舗装していませんでした。舗装は一部で、砂利道もありました。雨の日は、社員は長靴で出勤していました。今年も雨の被害がたいへんなようですが、昭和40年頃、やはりゲリラ豪雨がこのあたりにもありました。どーっと降った雨が三つ叉の坂を下りてきて全部、阪急へ。当時の阪急は、地下に変電所など電気施設があったので大変でした。1階の売場もくるぶしぐらいまで水浸しで、インフラの整ってない時代にはそんなこともありました。
 昭和42年には、阪急ブレーブスの優勝記念というのがありました。上田監督がきてから、強くなったんですが、当時、後楽園での試合ではメジャーな巨人ファンがほとんどで応援にいくのも厳しい状況でした。
同じ年に「夏休みのロボット展」もありました。バッテリーで動くロボットでしたが、NHKからの出演依頼がありまして、朝早くトラックに積んで運びました。番組を見た方達が阪急に押し掛けて並ぶというような大騒ぎになりました。
 昭和44年には「品川歴史展」というのを企画しました。私が手がけたものの中でも自慢の一つです。小さいながらも催し会場を持ってました。教育委員会の方に教えていただいて、鈴が森の刑場の台座を運んできたりしました。東海寺からは御朱印状を持ってきたり、重要文化財的なものも若干ありましたけど興味を引きそうなものを集めまして、展覧会をやりました。教育委員会を通じてご指導いただいてた関係で連日、小学校の生徒さん達にきていただいて、評判が良かったです。
 この44年には、大井の開発について、ダイエーの中内さんのことについて、ちょっとお話しておきます。阪急の隣のカネボウの工場が、そのまま空いてたんですね。2000坪ほどのかなり広い空き地でした。ダイエーの中内社長を阪急のレストラン風車でお見かけし、視察ではなかったかと思います。そのことがきっかけになって、2000坪の土地を阪急で購入することになり、複合施設(ホテル、ゴルフ練習場、テニス練習場)として出発することになりました。ホテルも徹底した合理化で電話もなし、シャワーもなしで、初めの宿泊料は、1600円でした。シングルばかりで800室ありました。関西から出張してくるかたから評判をとって連日満室でした。
 また、昭和50年頃は景気が上りきる前で、あちこちからビルの建て換えをすすめられていました。ところが、阪急を興した小林一三さんの経営方針が、徹底した合理化なんですね。「石橋をたたいてもわたらない」と言う人なんですね。そのかわり不景気になっても無借金の会社でした。バブルがはじけても経営的には大丈夫だったんですね。
ですから縮小した部分もありますが、西の方では活発で、博多に進出したり大阪の駅前に今年(平成24年)の暮れに大きいのがオープンします。
そういう基礎を作ったのが、小林一三と言う方の経営哲学に基づいた会社でした。
 それから、どんたくのところでもでましたが、町とのかかわりを一体化しないと百貨店も栄えない・・ということで、昭和50年代に日専連の大井専門店会と大井阪急で提携したんですね。専門店会のカードを阪急でも使えるようにしたんです。こういうことは全国的に言っても初めてのことでした。小売り屋さんのカードをそのまま百貨店で使えるという思い切ったやり方でした。「地元と手を組んで」ということを大井については特に言われていましたので、実現しました。当時としては、良かったと思います。
 最後に、阪急グループについて,ちょっとお話ししておきます。
関西でこそナンバー1でありましたが、こちらへきたらマイナーな百貨店という位置づけになっていましたが、いわゆる阪急グループ(現・阪急阪神グループ)の小林一三は、もともとは東京で、いろいろやっていて、「東宝」もそうですし、「日劇」もそうです。江東区の「東京楽天地」などもそうです。「第一ホテル」もそうです。「帝劇」もそうですし、「パレスホテル」、大井町関係では東急の大井町線の上にある書店「ブックファースト」も阪急グループなんです。それから駅ビル(アトレの6階)のお蕎麦屋さんもグループです。
 また、阪急少年音楽隊という吹奏楽の楽団を大阪で養成しておりました。中学を卒業した学生を集めて阪急学園という高校を作りました。普通の勉学のかたわら吹奏楽の勉強をさせて、優秀なものは少年音楽隊に入りました。甲子園の高校野球の開会式や主だった関西でのイベントにはほとんど出ていました。万博の時もそうでした。いろんな賞もとっておりました。年に数回、東京でもパレードや演奏をしたりしました。何度か大井のどんたくにも参加したように記憶しております。
そんなわけで、地味な印象の百貨店ですが、手堅い経営が阪急の特徴だと思います。

エピソード
●どんたくのゆかた(売場の浴衣を使ってみたら、大勢で着ると、現代的な柄が映えて良かった。踊りの先生達から注文が来て、何千反と発注をかけた。)
●大晦日の日に新しい肌着を枕元において寝た。明くる元旦には、新しい肌着を着て新年を迎えるという当時の風習があり、大晦日には、肌着が売れた。着物の人も多かったので、履物の草履がよく売れた。草履を山積みしていた。
限られた日に限られたものが売れると言う時代でした。
●士農工商と言う言葉がありますが、デパートに勤めてから友人に会うと「儲かってる」と言われるんです。ところが他の業界、製造業ではそんなことは言いませんでしょ?
商売ってのは、なかなか世の中に認められないような感じも無いことはなかったですね。
もう一つ、大晦日の除夜の鐘も紅白歌合戦も、家で聞いたことはなかったですし、子供の参観日や運動会も一回も行けませんでした。日曜日だから・・。
今は、営業時間等もかわりましたし、シフトで働いて交代することもありますから、そんなこともなくなったかもしれません。時代は大きな流れの変わろうとする時でした。

(*本文中、敬称を略させていただきました。)

合田さんのお話はここでおしまいです。大井町になじみの深い阪急について詳しくうかがいました。興味深いお話を有り難うございました。



*** 豆知識 ***


▼大井町駅前と阪急
駅前、阪急補正_1.jpg

▼航空写真(大井阪急)
航空写真、阪急大井町補正_1.jpg

▼屋上トイランドオープン
屋上トイランドオープン補正_1.jpg

▼大井どんたく
大井どんたく補正_1.jpg

▼大井どんたくのイベント
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▼ミス大井どんたくのパレード
S36ミス大井どんたくパレード補正_1.jpg