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大井町 昭和から今

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2017-05-10

第9回 品川たんけん隊の集い

平成23年5月14日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 第1講習室
土肥さんをお迎えして、お話していただきました。

SANY0004.JPG今回は、品川宿のお話を中心にうかがいました。
提供していただいたご自身で撮影された写真の数々を拝見しながら説明をしていただきました。
司会およびプロジェクター操作は、住友さんにお願いいたしました。

用意していただいた土肥さんのプリントの内容を写真を参照しながら、詳細にお話ししていただきました。
内容詳細は、以下に記しました。

★品川宿(及び品川湊)の推移

●品川の名が文献・史料に登場するのは元暦元年(1184)82代後鳥羽天皇の時代。
 品川清実が源頼朝より品川郷の雑公事を免除されるとの記事あり。
(建久3年(1192)頼朝、征夷大将軍に任ぜられ開幕) 
●410余年後、家康の時代、慶長6年(1601)品川が宿駅となる。
(芝を東海道の起点とし「本芝」と名付ける)
 この年、日本橋駿河町よりの出火で江戸全域を焼く。以降、草葺き屋根をやめ板葺きとする。
 品川宿は、これを機に全旅籠を本瓦葺きとする。(五十三次中、全館本河原葺きは品川宿のみ)
●寛永15年(1638)幕府(家光)は沢庵禅師のために、東海寺を建立する。
 寺域47,000余坪。
●元禄13年(1700)7月 品川溜ができる。(浅草溜は6月)
●宝永5年(1708)深川の地蔵坊・沙内正元が金銅丈六の地蔵尊6体の建立を始める。
(1720年に完了)
 品川寺の地蔵は、そのうちの一つ(1708年・第1号)
●宝永7年(1710)大木戸を札の辻から芝車町地先に移転。石垣・高札場を設置(高輪大木戸)
●享保2年(1717)頃、(8代吉宗の時代)品川御殿山が桜の名所となる。
 寛文年間(1661〜72)千本桜が大和吉野山から移された。
 江戸最南端のため開花が最も早かった。
●享保7年(1722)品川新町が歩行(かち)新宿となり、南・北品川宿に加えられる。
 この頃から平旅籠と食売旅籠が、はっきり区別して呼ばれる様になる。
 旅籠数は、江戸末期で100軒程度。(平旅籠1:食売旅籠3の割合)
●天明2年(1782)三味線指南の名目で芸妓を置く事が許され、品川は吉原に劣らぬ勢いとなる。

●文政4年(1821)大火で品川三宿ほぼ全焼。貴重な資料が多数焼失する。
 6尺7寸(203cm)の大女、飯盛り女「つた」が大人気。
●弘化4年(1847)大森村の三浦屋、田中藤左衛門が火入れした上等の乾海苔を青緑色に焼上げ「焼海苔」を始める。
 嘉永2年(1849)川崎の加藤某が日本橋室町1丁目にのちの「山本海苔店」を開業。
 品川・大森産の海苔も浅草海苔と称される。
●嘉永6年(1853)異国船渡来により、非常の際は芝金杉から品川18ヶ寺(目黒川以東)沿岸の
 町屋は立退く様、通達される。
 お台場造営が江川太郎左衛門に命じられる。
「品川のお台場の土担ぎ、先で飯食って二百と五十」と唄われる。
 500人の人を使ったとして、一日30両、月にすると約1000両が費やされた事になる。
●安政5年(1858)異国船来航以来、幕臣等の往来が増えたため品川宿から保土ヶ谷までの東海道
 の助郷の負担が増し、市人困窮する。
●文久元年(1861)5月 英国公使館の高輪東禅寺を水戸浪士15人が襲撃する。
(第1次7月 品川御殿山に各国公使館が建設される。
●文久2年(1862)12月 高杉晋作らが御殿山の各国公使館を襲撃する。
●慶応4年/明治元年(1868)4月江戸城開城/5月江戸府設置/7月17日江戸を東京とする詔書。
 10月13日明治天皇、江戸城へ。
 明治2年(1869)朱引内を50区とする。
●明治5年(1872)日本近代史上の画期的な年。

  • 太陽暦の採用(12月3日を以て明治6年1月1日とし、以降西暦と一致する)
  • 文部省開設
  • 国民皆学が宣せられる
  • 新橋ー横浜間鉄道開通
  • 大相撲の女性観戦許可(2日目から)
  • 違式詿違(かいい)条例発布
  • 東京日日新聞創刊
  • 銀座大火→煉瓦街となる

●明治11年(1878)11月 府が大区小区制を廃し、15区6郡を定める。
(6郡は、荏原・北豊島・南豊島・豊多摩・南足立・南葛飾)

●明治29年(1986)頃、好景気による分戸・東京移住・出征兵士帰還等で貸家払底。
 渋谷・新宿・王子・向島・品川方面で貸家の新築急増。
●明治30年(1987)品川乗合馬車が品川鉄道馬車と改称し、品川〜新橋間の軌道輸送を開始。
●明治34年(1901)11月 京浜電鉄路線工事に反対する人力車夫200人が襲撃準備するが、
 警察に阻止される。
●明治36年(1903)8月 東京電車鉄道(株)が品川〜新橋間で営業開始(東京の路面電車の初め)
 のちの市電(都電)
          9月 東京市街鉄道(株)が数寄屋橋〜神田間、開業)
 明治44年(1911)8月 東京市が買収
●明治37年(1904)5月 京浜電気鉄道の品川〜大森間開通
 明治38年(1905)12月 気品電気鉄道の品川〜神奈川間開通
●大正3年 (1914)省線 京浜線「大井町線」開業
●大正9年 (1920)2月 松竹キネマ(合)設立。蒲田に撮影所ができる。
●大正11年(1922)7月 田園都市(株)が洗足池・大岡山・調布村・玉川村一帯の宅地開発着手。
●大正15年(1926)9月 京浜線電車に自動ドアが設置される。
 昭和元年
●昭和5年(1930)1月 品川に大崎無産者診療所が開設される。
●昭和6年(1931)8月 羽田に東京国際飛行場開設(滑走路全長400m)
          8月(銀座尾張町と京橋交差点に3色自動信号機設置される)

●昭和7年(1932)10月 東京市が5郡隣接82町村を合併して20区とし、
 これを加え35区となる。
(世界第2位 人口497万人の大都市となる)昭和37年 1,000万人を超える。
 この年のラジオ契約台数142万台。普及率11%。
●昭和9年(1934)9月 銀座通りの歩道の煉瓦石取替え
(当時6・7・8丁目の両側は全て赤レンガであった。撤去したレンガは戸越銀座で使われている)
●昭和17年(1942)4月 米軍による東京初空襲。大井5丁目に爆弾が落ちるが不発。
●昭和18年(1943)7月 東京都制施行(府と市を解消して都を設置)
●昭和19年(1944)8月 学童集団疎開始まる。
●昭和20年(1945)3月10日・5月24日 東京大空襲(5月24日大井第一小学校も焼失)

品川宿について大変詳しくお話しいただきました。今回初めて、お持ちいただいた写真を使ってお話しいただきました。画像を見ながらのお話はわかりやすく新鮮で、楽しいひと時でした。ありがとうございました。



*** 土肥さんのアルバムより***


海雲寺

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海雲寺LinkIcon

品川寺

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品川寺LinkIcon

丸屋(履物店)

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丸屋履物店LinkIcon

荒井家(うなぎ)

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これが、あのー、八つ山よりのうなぎやの荒井家と書いてありますが、旧海岸通りへ移転した跡が、ここなんです。
今ここは、うなぎ屋さんぢゃなくなっちゃったんです。
居残り佐平次』で「荒井の昼飯でも食って行こう」という台詞があります。
ここの坂を上がった所が問答河岸です。

土肥さん談
居残り佐平次LinkIcon

高札(土蔵相模跡)

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八つ山橋付近

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北品川LinkIcon

品川宿場通り

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京浜急行

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北品川LinkIcon

旧東海道入口

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問答河岸跡

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北品川LinkIcon

問答河岸由来

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北品川LinkIcon