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大井町 昭和から今

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2017-05-10

第6回 品川たんけん隊の集い

平成22年9月18日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 第3講習室
浅野さんをお迎えして、お話していただきました。

SANY0004.JPG今回のゲストは、浅野さんです。
話題が豊富な浅野さん、お話が楽しみです。
ナビゲーターは、住友さんにお願いしました。

 去る平成22年9月18日(土)の午後、「私と大井町の昔話」と題して、ゲストスピーカーに浅野光一氏をお迎えして第6回品川たんけん隊の集いを実施しました。
当日は、浅野さんの先輩も多く参加され、過去の大井町の歴史を振り返りながら、活発な意見交換が行われました。
浅野さんは、大井町の話を「大井町の町政の流れ」「大井町の交通」「世相の変遷」の3部に分け、徹夜で書かれた資料を基に話をされました。以下、内容をご紹介します。

「大井町の町政の流れ」

 天保年間1840年頃、大井町は大井郷と呼ばれた天領でした。その時の名主は櫻井、大野の両家であり、513軒の民家があり1,563石の米がとれたとのこと。(当日は名主の末裔の櫻井さんが参加されていました)
1869年に廃藩置県が行われ、品川県荏原郡大井村となり、1878年には府郡区編成法により東京府下荏原郡大井村と改称、当時の人口は4,264人、世帯数は961戸だったそうです。その後、1908年の町政度施行により東京府下荏原郡大井町となり、大井町に25の字がありました。庚塚、倉田、森前、滝王子、山中など懐かしい地名がありますが、何故か鈴ヶ森はありません。刑場の名であることから避けられたようです。
 また、3代目(大正11年)の大井町の町長に「名和長憲」氏の名がありますが、この方は南北朝時代の武将の「名和長年」の子孫と言われています。この間に忘れてはならない人に品川出身の代議士の高木正年がいます。1892年(明治23年)の第1回総選挙に民権派として立候補して当選。品川漁民問題などに奔走、過労により失明するも通算13回の当選を果たし、婦人公民権の実現や盲人の生活保護などに尽力。1934年(昭和9年)に亡くなったときは、まさに「井戸と塀」しか残らなかったそうです。
1923年(大正12年)の関東大震災以降に大井町の人口が増え、行政対策として大井町を1区から11区に分けて各区長を選出し町政を補佐させました。その後、1932年(昭和7年)に東京府下から府内へ移行するとともに、品川区が発足し、初代品川区長に工藤隆治氏が任命されました。
戦後は一時、任命制の時もありましたが1972年(昭和47年)から選挙によって選ばれるようになりました。
関東大震災後の品川区の人口が12,313戸、58,619人でしたが、現在は350,000人です。

「大井町の交通」

 1872年(明治5年)に新橋と横浜の間に鉄道が敷かれ、午前と午後4回ずつ運行されました。
現在、品川駅は港区にありますが、その理由は品川の漁師が駅の設立に反対した為と言われています。大井町の駅は1914年(大正3年)に開設され、1942年(昭和17年)~1944年(昭和19年)頃は乗降客全国一を誇ったようです。(「目で見る品川」より)
その他、JRより海岸沿いを走っている電車が京浜急行です。1897年(明治30年)に川崎と大師の間を走ったのが最初です。その後、1905年(明治38年)に品川から学校裏(現平和島)が開通しました。浜川と立会川との間にあったのが土佐山という駅で、山内容堂の墓に参る人が多いので作られたと言われていますが、1912年(明治45年)に廃止されました。容堂人気の陰りでしょうか?
また、大森から羽田方面へも鉄道があったようで、大森駅東口に昔、白木屋があった頃走っていたようです。
 バスに目を向けると、1926年(大正15年)に城南乗合自動車が9台のバスで事業を始めた記録があります。それが1931年(昭和6年)では大井町管内でバスが107台、貨物自動車が62台、自家用車が15台と記録されています。まだ人力車が95台あり自転車が6,370台と登録されているのも面白いことです。ちなみに2005年(平成17年)の自動車登録台数は130,956台です。前回の勝浦さんの話にもありましたが、大井町駅から三つ又地蔵への道が狭く、かつトロリーバスと呼ばれていた大型のバスが走っていたため、バスと電柱の間に挟まれて女性が亡くなるという死亡事故が発生しました。

「世相の変遷」

 明治以降の日清、日露戦争を経て日韓併合の話、第一次世界大戦など順を追って、解説いただきました。
関東大震災の時は、大井町は被害が少なく、土地代も安いことから人口が非常に増えました。
まず、浴場を経営する人、次に医者、それから薬屋といった順番に人が増え、大井町は医者と薬屋の町と言われました。
 世界金融大恐慌時前後から工場が増え、カネボウ、後藤毛織、三共製薬、日本光学、三菱重工などが進出してきました。人が増えると犯罪も増える関係で、治安面では1928年(昭和3年)に品川警察署大井分室が現在のヤマダ電機の場所におかれ、派出所が17ヶ所も設置されました。
 大井町の町を歩いていると、この道は中途半端と感じることが多いと思います。この原因は戦前の道路計画が途中で頓挫しているためです。本来道路になるべきところに家が建っていますので、現段階ではどうしようもありませんが、関東財務局が地主になっているケースがよくみられます。
 このほか、現在は姿を消していますが、大井三業地の紹介もありました。場所は大森海岸に近いところにありました。「三業とは何か」で座はかなり盛り上がりました。
三業とは?このページを読まれている方は、インターネットで調べてみてはどうでしょう。

大井町の歴史の変遷を系統立ててお話しいただき、興味深く拝聴いたしました。
浅野さん、貴重なお話をたくさんありがとうございました。





***** 豆知識 *****




▼廃藩置県

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▼郡区町村編成法

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▼名和長憲

名和長憲 陸軍少将 東宮武官

▼高木正年 

安政4年(1857)~昭和9年(1934)
日本初の全盲代議士。旧姓は細井。明治15年東京府会議員選挙に立候補して当選。明治23年第1回総選挙に民権派として立候補して当選。過労がたたって明治29年失明するが、地元民の圧倒的な支持を受けてその後も当選を重ね、熱心な普選論者として通算13回の当選を果たした。婦人公民権の実現、盲人の生活・職業の保護などに尽力した。

▼白木屋

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▼人力車

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▼トロリーバス

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