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大井町 昭和から今

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2017-01-19

第11回 品川たんけん隊の集い

平成23年11月19日(土)
午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 第1講習室

SANY0005.JPG今回のゲストは、秋山民野さんです。
街道の魅力についてお話ししていただきました。
お話のナビゲーターは、伊東さんにお願いしました。



SANY0005.JPG伊東さん
これまで、品川たんけん隊でも6回の街歩きを実施してその1回目と2回目は東海道でした。
今日は東海道を昭和50年から60年にかけて歩いた秋山民野さんのお話をお伺いします。
私も東海道は昭和62年から平成2年にかけて歩きましたが2001年の「街道制定400年祭」に向けて東海道が盛り上がりを見せ始めるより以前からのお付き合いです。
秋山さんまずは、自己紹介からお願いします。
SANY0005.JPG秋山さん
こんにちは。秋山たみのと申します。
民野という名が珍しくよくペンネームですかと聞かれますが、そうじゃなくて本名です。
山陰の日本海側で生まれまして、「夢千代日記」の湯村温泉の下車駅の浜坂で生まれ、昭和31年に東京に出てきました。
その後、結婚して川口に現在も暮らしています。
なにしろ東海道が好きで関わってきましたので私でお役に立つことであれば何でも仰って下さい。

伊東)東海道をお歩きになってそのことを読売新聞のコラムに投稿された、それを読んだ街道文化研究家の森川昭先生と「東海道五十三次の事典」を出されましたね。
これは私のような東海道歩きのバイブルみたいな本です。

秋山)昭和50年に歩き始めすぐ挫折しちゃいまして、56年からどうしても歩き通したかったので再開し60年に京都に着きました。
読売の「赤電話」への投稿を友人に勧められ投稿したら400字位のコラムに採用され、それを、お読みになった東大の森川先生から紀行文を書きなさいというお話がありました。地図や専門的な部分は先生がお書きになりました。
これが出版されてから主婦でも歩けるというので東海道を歩く方が増えたそうです。

伊東)東海道歩きのきっかけは何だったのですか?

秋山)永谷園のお茶漬け海苔の中に絵カードが入ってまして、そのシリーズの一つが広重の東海道五十三次でした。このカードを何枚か集めて送るとフルセットが貰えたのです。
これと城米彦造さんという武者小路実篤派の放浪詩人が五十三次のスケッチに詩を書いたのを両方眺めているうちに興味を持ったのがきっかけです。

伊東)永谷園の版画絵は、15枚集めて送ると55枚のフルセットが貰えました。
この企画は1999年まで続きました。私も広重のこの版画の場所は何処なのだろうという次の宿場ポイントへの楽しみが完歩の理由の一つでした。
秋山さんは東海道のどこが一番印象にありますか?

秋山)これはたくさんの方から質問されるのですが一箇所に絞れと言われると辛いですね。
それぞれに良さがありますから、NHKの番組でも5箇所挙げてしかも順位を付けてといわれたのには閉口しました。順位なんて付けられませんよ。
自分の印象に残っているのは薩埵峠です。静岡県の油井と興津の間の峠です。広重の版画の構図とまったく一緒の景色があります。駿河湾の田子の浦に富士山が見えたら最高ですね。
ここは現在も交通の難所で国道と高速道に東海道線が崖下の海岸を集まっていますので海が荒れたらすぐ通行止めになる親不知のような難所です。
昔も上道、中道、下道と三筋ありましたが中道か上道を通行するのが多かったようです。

伊東)峠では、日本橋から行くと最初の峠は箱根峠ですが箱根の印象はいかがでしょうか?

秋山)箱根宿も私のべスト5に入ります。
なぜならまず石畳、峠からの富士山の眺望、芦ノ湖まで下ると関所があります。それと杉並木。
日光の杉並木は有名ですが、東海道の杉並木は箱根だけです。
街道の海沿いは松ですが、寒冷地では霧のため松が育ちません。箱根だけが杉ですので文化庁から保護指定されています。
箱根の美味しいものは甘酒茶屋の甘酒、西坂をくだると三島の鰻です。
それから合の宿畑宿の寄木作りで私も根付を買いました。
このように箱根はいろいろ楽しめる事ができますので歩かれるのをお勧めします。

伊東)これから街道を歩かれる方もいらっしゃいますがここの皆さんは高齢になってきましたので一気に箱根越えは無理でしょうが(笑い)
峠越えは今も昔も大変で、箱根の次が薩埵峠、そして宇津ノ谷峠ですが岡本太郎の母親岡本かの子が夫の一平と人力車で東海道を旅した事を書いたものがあります。その中に「この東海道というのは山や川や海がうまく配置され、それに宿々がいい具合な距離にあって、景色からいっても、旅の面白さからいっても滅多にない道筋だと思うのです」「この東海道には東海道人種とでも名づくべき面白い人間がたくさんいるんですよ」と書かれています。その登場人物で作楽井という街道商人は東海道を日本橋から三条大橋へ上っては橋を渡らず大津から引き返す。
秋山さんは何遍も三条大橋渡っちゃたんですね。

秋山)最初にペンネームのお話、しましたが作楽井老人に憧れ、また桜の花が好きなことからペンネームを「さくらいたみの」と称しています。
岡本かの子の本は、中央公論社発行の「老妓抄」のなかの「東海道五十三次」です。この作楽井老人は、(本当は老人ではありません)東海道をあちこちウロウロして情報を集めながら襖張りをしたりして生計を立てた旅人です。本当に東海道が好きで離れられなくなったのですね、それにあやかってさくらいたみのです。

伊東)若い人は東海道を通しで歩かれる方も見られますが大体は尺取虫のように行っては戻りまたそこから先へ繋いでいく区切り歩きです。私も15日間で歩きましたが、これは速い方で昔の人もこの位速かったようです。昔の旅人も午前6時には宿を出て午後2時か3時には歩き終えています。
1日10里、約40kmですが女性など健脚でない人は20〜30kmです。
そして、どこで止めても宿場が近いです。
秋山さんは東海道を何回位歩かれたのですか?

秋山)ネットワークの会の例会で日帰りや一泊して再び歩きました。会員さんは都合で好きなところだけの参加ですが事務局長の立場では全てに参加しなくてはいけません。会でガイドブックを編集出版するときも調査や確認で歩きましたがきちっと歩いたのは2回です。一里塚めぐりや例会の宿場訪問など車やバスでは何回もあります。好きな宿場は土山と袋井ですがそこに友達ができると何回も訪れて最初は数えていましたが、20回は越えている宿もあります。

質問)大坂まで500kmですが宿場は10km毎位にあるのですか?

秋山)京都三条大橋まで492kmです。国鉄JRですと502kmですが国道は道筋が変わっていますので今は約500kmです。宿場間は長いところですと20kmのところもありますが、10kmから16kmの間隔です。これも全部一勢にできたのでなく、一番遅いのが石薬師で徳川家光の代に五十三次が完成します。大坂までは大津から逢坂山の先で別れて五十七次ですが広重の版画が有名になり五十三次が一般化しました。最近大坂の方は五十七次と頑張ってますが、九州や西国の大名は淀川を遡り、朝廷に遠慮して京都を迂回して大津に行きます。
私から質問ですが広重の東海道五十三次の絵は何枚でしょう?
日本橋と三条大橋を加えた55枚です。

伊東)街道は大名の参勤交代の道ですから行軍なのです。従って朝廷や城下町を迂回するのです。
小田原、府中(静岡)、浜松、岡崎といった譜代大名の城は目付けの役割がありますから通過します。
大名の泊まる本陣も名誉職で宿賃も決まっていません。参勤交代は大名の経済負担を多くして勢力を抑圧するための政策です。加賀の前田候の行列は500人と言われてますが、それは頭と尻だけで途中は縮小して倹約しています。
街道の並木は歩く人にとっては夏でも冬でも重宝なものですが本来は軍事目的があり、戦争になると木を伐採して行軍のバリケードにします。そして宿場の入口には鍵の手といって、道をクランク状にして馬が駆け抜けられない仕組みにしています。
2001年の街道制定400年祭以前から秋山さんは品川宿を初め他の宿場にも関わってこられました。
品川宿は若い人たちを旨く取り込んでいますが、2011年になって他の宿場の高齢化が目立ちますが秋山さんはどのようにお考えですか?

秋山)私は、とにかく若い人に東海道に関心を持って欲しいのですが、若い人達は勤め等で時間が自由になりません。また東海道というと水戸黄門も終了しますが時代劇のように、時代遅れで古いと思われがちです。定年になってご夫婦で歩かれる方はお見受けしますが若い人は歩いてくださらない。
ネットワークの会でも若い人が加入するとこちらから一所懸命コンタクトしますが出張とかでスケジュールが合わないです。NW会も会長を含め定年を過ぎてから参加した人がほとんどで若い人が少ないです。品川は毎年若い人が増えて結構盛り上げてくれますので、すごいです。
悲しいのは東海道の宿場すべてがそうかというと温度差がありますから全部をつなぐのは難しいです。
最高53の宿場と繋がりがありましたが年々高齢化で知己を失っているのが現状です。
旅行社が熱心で街道歩きは無くならないと思いますが、どうやって若い人に興味を持って貰うのかがこれからの課題です。

質問)街道は全部つながって残っているのですか?

秋山)無くなっているところも一杯在ります。国道や県道になって改修されたり、歩く人には判らなくなっている部分も結構あります。

質問)地元の人に聞いても知らないですね?地図も変わるし?

秋山)私も失敗が結構あります。地元の女性に聞いても駄目です。地元の古老を探してその人に尋ねます。女性が駄目なのは街道に興味が無い事と、お嫁に来ているから土地への愛着心が薄いのです。
400年祭を契機に案内は増えましたが肝心の分かれ道のところに案内が無いのです。行政は目立つところばかりに建てたりしますから史実と違ってもかまわないのです。一里塚を移動したりします。
5万分の1地図に行程をプロットしても迷わずに歩くのは困難です。

伊東)5月連休前の鯉幟や秋のコスモス、季節ならではの路辺の草花等、とにかく歩き始めて楽しみを見つけてください。いきなり歩こうとすると無理がありますから良いとこ取りで行きましょう。
点でなく線を楽しむ歩き方について秋山さん何かアドバイスをお願いします。

秋山)最初は子供二人と歩き出しましたが、子供は街道に興味が無く、一方私は大森山王に3年ほど住んでいましたので品川、平和島、大森は懐かしかった。それで川崎に着いた時は、空が大きく感動しました。でもここから先ガイドブックもないのに京都まで歩けるか不安になりました。
後で国道1号線でもいいやと考えて実際に歩き始めたら欲が出て来るのです。
子供と一緒だと銀座で食べさせたり羽田空港に寄ったりで自分が楽しめません。それでも京都まで歩いてみたいと思った時に主婦仲間が手を挙げて参加してくれました。
今度は友人を誘った以上いい加減はできないので行程を事前に地域の役場とか図書館に問い合わせて調べました。図書館の司書のある方は「別冊太陽」をコピーして送ってきたのを見て、自分で地図に赤線でルートを書き込んだりしました。その作業も大変でしたし、女性3人だと歩く速度や好みも違うので大変でした。とにかく5人とか6人で三条大橋まで歩いたとき万歳バンザイを叫びました。
皆さんも飛び飛びで良いですから京都まで歩いてください。

伊東)東海道は昔からいろんな人が歩いてます。赤穂浪士は泉岳寺や甘酒茶屋、山科、在原業平は宇津ノ谷峠。歴史をたどる楽しみ方もあります。

秋山)甘酒茶屋は忠臣蔵の神崎与五郎の侘び証文ですが、あれは嘘です。別の場所です。私も本当だと思ってました。本を出そうとすると嘘は書けないので調べますと諸説あってどれが正しいか判りません。忠臣蔵も見方により5通り有るように勝てば官軍で都合よく変形脚色されています。だから自分で楽しんでから後で勉強するのをお勧めします。私は道筋以外は事前にあまり調べません。疲れますから。歩いた後で興味を持った事を集中して調べます。時代劇チャンネルで東海道演ってますが、間違いだらけ。安藤広重も画家としての名前は歌川広重で安藤は本名です。作家を本名で紹介しませんよ。私は広重と言っています。当時の事実は何が本当か判りません。忠臣蔵も後世に作ってますから。芭蕉句碑も後世に建てられるからそこで読んだか判りません。川崎八丁畷にある「麦の穂をたよりにつかむ別れかな」は本物ですが桶狭間にある今川義元を偲んだ「赤々と日は暮れなくも秋の風」句は金沢(小松)が本場です。一里塚がどこに残っているかでも良いです興味を引くものがあったら立ち止まって楽しんでください。

伊東)大津の手前膳所に義仲寺があってここに木曾義仲と芭蕉の墓が並んでいます。なぜ義仲と芭蕉なんだろう?このような疑問が発端になって調べてみようかと思う次第です。
ここに御油の版画がありますが、ここに竹之内という旅籠の屋号が描かれています。これは実景でなく版画の版元の屋号です。関の出立の景は大名が出立する場面ですがここに描かれている大名の紋所も創作です。いろいろ差し障りがあったと想像されます。通しで歩きたい方は別ですが、浜松から白須賀、二川など歩いて何も無く退屈な場所も結構ありますから良いとこ取りの歩きをお勧めします。

秋山)私も昔の旅人が馬や駕籠に乗ったように、バスに乗ったりしました。本を書く段になると嘘は書けないので歴史を調べたり、実際に歩いて行ったりしました。奥の細道を歩いて句碑を訪ねましたが興味を持ったところから入るのが宜しいと思います。一人でも歩いたのですがNWの会に入会して皆と共有してワイワイがやがや歩くのも別の楽しみだなと初めて気づかされましたと言う方もいらっしゃいました。
自分なりの歩きかたが続けられるコツです。

伊東)歩いての楽しみは土地の名物です。
版画の鞠子、丁子屋のとろろ汁は有名です。乳母が餅、関の戸やういろうなどいろいろありますね?

秋山)順番に並べてみましょう。品川-あさりの深川めし、川崎-葛餅(万年屋の奈良茶飯)、
神奈川-亀の子煎餅(浦島寺)、保土ヶ谷-米饅頭、藤沢-饅頭(大船-鯵寿司)、大磯-寿司、
小田原-ういろう、箱根-寄木細工、三島-鰻、沼津-魚料理、原-鰻串焼き(版画の富士山は枠から飛び出している)、吉原-左富士(富士宮焼きそば)、蒲原・油井-桜海老(倉沢屋のさざえ)、興津-清見寺膏薬・鯛(坐漁荘)、江尻-三保の松原、府中-安倍川餅、丸子-とろろ汁、岡部-蔦の細道(宇津野峠)、藤枝-桐箪笥、島田-大井川渡し、日坂-久遠寺子育て飴(夜泣き石)、掛川-木造の掛川城、
袋井-五十三次ど真ん中、見附-明治建造の小学校、浜松-中野町ど真ん中。

伊東)東海道も御油(ごゆ)・赤坂を過ぎると趣が関西風にがらりと変わります。いろいろな視点から入れる東海道の楽しみかたを今日は秋山民野さんにお話いただきました。
秋山さん、本日はどうもありがとうございました。

街道の魅力について大変詳しくお話しいただきました。ありがとうございました。



*** Memo ***


東海道五十三次の事典

51iGbsKp39L._SL500_AA300_.jpg森川 昭/監修
あなたも歩ける五十三次。
主婦の紀行と〈見どころ案内〉

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東海道五十三次ガイド

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江戸・日本橋から京・三条大橋まで、すべての宿場を実際に歩いて集めた「歴史の旅」のガイドブック。「東海道宿駅制定400年」を経て、『完全東海道五十三次ガイド』(1996年刊)の情報を一新。各地に残る名所・旧跡はもちろん、新たにオープンした歴史資料館や道標、付近の見どころ・味どころ、お土産情報まで盛り込んだ、もっとも詳細&コンパクトな東海道大百科。読むだけで、“江戸情緒”あふれる「五十三次の旅」気分が味わえる。

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薩埵峠(さったとうげ)

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51LwCdjH46L._SL500_AA300_.jpg昭和7年(1932)神奈川県に生まれる。東京大学大学院博士課程修了。東京大学名誉教授。日本近世文学専攻。著書に『貞門俳譜集』『俳人の書画美術、貞徳・西鶴』『谷木因全集』『卜養狂歌絵巻』『芭蕉全図譜』(共著)『四季のことば』などがある。

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東海道五十三次

岡本かの子/著

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