品川区高齢者福祉団体
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大井町 昭和から今

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2017-05-10

第20回 品川たんけん隊の集い

日時:平成26年4月12日(土)
   午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 講習室

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住友:『なぜ昔からの店が消えていくのか?
みんなで語ろう大井町の街づくり!』という壮大なテーマをつけてしまった今回ですが、趣旨は、大井町についてみんなで語り合おう!という事ですので、どうぞよろしくお願いいたします。

資料をさがしておりまして、図書館で「品川区 街作りマスタープラン』という本を見つけました。平成19年のデータによりますと、品川区の中での売り場面積が一番広いのが、大井町駅周辺との事で56,252平米。大きな商店街で有名な武蔵小山が18,680平米ですから約3倍の広さになります。ちなみに大井町駅周辺の販売額が598億5700万円、武蔵小山が191億8,400万円。その後、少しづつ面積も売り上げも減少傾向にあるようですが、大井町駅周辺の売り場面積、売り上げ共に一番というのは、初めて知りました。
それでは、大井町駅周辺を見てみましょう!・・というわけでこの絵をご覧いただきます。
参加者:これは踏切のところから品川方面へ向かって描かれたものですね。陸橋は、大井陸橋ですね。車両は大正時代のもの。4両編成でも走っていました。
住友:この絵の左上に後藤毛織と書かれています。カネボウの工場の前身で大井町の発展に寄与したLinkIcon後藤毛織の建物です。

三又商店街地図.jpg

昭和50年代の商店街の図

提供:森さん

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三つ又商店街の写真

写真当時も今も変わらない道幅の三つ又商店街。道幅の拡幅が商店街の繁栄に関係するとか。

DSC_0171.JPG車の所には時代屋がありました。
DSC_0172.JPGお地蔵様の辺から見た商店街。
DSC_0174.JPG元は天児金物店、現在は美容室。
DSC_0177.JPGビアイン、元は駐車場でした。

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◀︎2014年 現在の三つ又商店街 三つ又の時計塔から見た商店街

この辺りから三つ又のお地蔵さままでの間に、シャッターがおりている店舗が9店あります。そして美容院が、急増中。
歯科医院やクリーニング店も増えました。
同業種だけが、どうして増加していくのか?

昭和12年頃の滝王子通り▶ 浅野氏:作画

三つ又商店街を通り抜けると池上通りぞいの本通り商店街になります。ここの商店街もしもた屋になっているところが多くなりました。防災上の計画で三つ又に近い方から大井第一小学校の交差点あたりまで拡幅が決まっているようです。拡幅が商店街にあたえる影響も多いようで、一本橋通り商店街も、拡幅後には商店街が、なくなってしまいました。

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この図の中の17番の杏林堂薬局さんのあたりに、大正時代には式場隆三郎氏の医院があったそうです▲

IMG_2738.JPG三つ又歩道橋
イズミ靴店 (2).JPG踏切そばの風景
大井三ツ又中通り.JPG大井三つ又中通り
DSC_0178a.JPGビアインの横道
DSC_0183b.JPG山田寿司さん
DSC_0190.JPG加納屋さん

 品川区にはいろんな商店街があるが、高齢化が進んでくると遠距離への買い物は不便になり、身近な商店が必要になってくる。大店法の影響や地域性の問題もあるが、生活者の住人にとって近隣の商店街は必要不可欠なもの。最近では大型店ではなくセブンイレブンや安売りショップを利用する都会型の購買スタイルに変化してきているように見受けられる。
多様化した個人のニーズへの対応も難しくなってきており、スーパーではネット販売に活路を見出しているのではないか? 60代のネット使用率は全体の約3割らしい。将来的には、どういうふうに変遷していくのだろうか?
 それとは逆に、大森にあるダイシン百貨店は、一年に一個しか売れないものでも在庫を置き、昔ながらのコミュニケーションを大切にしているという。
 便利さだけにとらわれず、昔ながらの商店が懐かしいと思うのは私だけでしょうか?



*** 豆知識 ***


▼駅周辺について書かれた記事

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後藤毛織
後藤毛織は第一次大戦後、東京毛織物、東京製絨と 合同して東京毛織會社となりますが、後藤は大正7年にもう一度、後藤毛織株式会社を 設立した。
後藤恕作

▼時代屋

時代屋の女房

jidaiya.jpg東京・大井で骨董屋「時代屋」を営む安さんと呼ばれている35歳で独身の男性と、そこへやってきた真弓という女性が繰り広げる恋物語。舞台となった骨董店「時代屋」は実在の骨董店で、当時は大井町駅近くの大井三ツ又交差点の一角にあった。
1990年代末、都道拡幅予定地のために渋谷区、広尾商店街に移転した。
LinkIcon時代屋の女房wiki

しもた屋
しもた屋は、「しもうたや」が音変化した語。 「しもう」は、「終える」「片付ける」を意味する 動詞「仕舞う(しまう)」に由来し、漢字では「仕舞屋」「仕舞うた屋」「仕舞た屋」などと書く 。 ここでの「しまう」は、「店をたたむ」「商売をやめる」といった意味

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式場隆三郎

shikibadr.jpg大正1年に上京し、東京・大井町で神経科と内科を開業しながら白樺派の人々との交遊を深め、この時期に式場は医業を捨てて文学・芸術活動への専念を考えたこともあったようだ。さらに、大正13~14年頃は医業をほぼ休止させ、柳宗悦の木喰五行上人の調査旅行や、民藝運動の設立などに参加した。
しかし、大正14年末に再び精神病理学教室での研究の生活に入った。
その後、静岡脳病院での院長時代の昭和7年に、初期の代表作となる『ファン・ホッホの生涯と精神病』を完成。昭和1年に 千葉の市川に国府台病院を設立・開業。この年に同じ市川の精神薄弱児擁護施設と呼ばれていた八幡学園の顧問医となって山下清少年と出会うことになる。
LinkIcon式場隆三郎

シャッター通り
 我が家からJR大井町駅まで池上通りを歩いて、ちょうど1km程である。戦前の池上通りには商店がまさに櫛比しており、時には縁日の夜店もでて母らとの食後の散策も楽しかった。しかし、その通りが、ことに大井本通りは今や見る影もない。
 理由はいろいろあろうが、第一は店主の高齢化と後継者難か。次いでスーパーやコンビニ進出の影響も大きい。客足はどうしても品揃えの豊富な大型店に流れる。たしかに便利ではあるが反面良いものは入手困難にもなった。さらに多額の相続税支払いのための土地売却や重労働なくして安定収入の得られるマンション経営に転身した店も多い様だ。
 数えれば驚いたことにもう半世紀も前のことになるのだが、私の学生時代(昭和20〜30年代)にはまだまだほとんどの商店が健在で、次は何屋さん、何屋さんと目をつぶっても思い浮かぶ程で楽しく歩けたものである。
 幸い三つ又商店街は今も変わらず健在で、いろいろ店の交代はあったにしても昔ながらの活気があって嬉しい限りである。ただ、閉店時間が早くなり、ちょっと遅くに通ると本通り同様のシャッター街になってしまう。
 やはり商店街は明りが煌煌と輝いて商品が美しく並んでいてこそ魅力があり、人を勇気づけ喜びを与えてくれるものだ。寒々としたシャッター街を見るにつけ過ぎし日の懐かしい街並みが瞼に浮かぶ。
(平成23年1月  土肥 記)