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大井町 昭和から今

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2017-01-19

第18回 品川たんけん隊の集い

日時:平成25年9月14日(土)
   午後2時00分〜4時00分
場所:大井第2地域センター 2階 講習室

航空写真、阪急大井町補正_1.jpg

 ゲストの方の都合により、急遽、代替案での集いとなりました。
記念すべき第1回目の集いのビデオ映像をご覧いただきながら、大井町の発展に大きな貢献のあった
後藤毛織について、また、阪急百貨店を中心にした航空写真で当時の建物や場所について、お話は盛り上がりました。

今回、参加された皆さん、ありがとうございました。



*** 豆知識 ***


▼後藤毛織
大井町駅を過ぎて左手線路際にある現在の東芝病院(東大井6丁目)の敷地は、その昔は毛織物工場であった。
大井町の開発者としても知られる後藤恕作(ごとうじょさく)は安政5年(1858年)現在の兵庫県で生まれ15歳の時、政治家の森有礼に随行して北京に留学した。そして明治11年(1858年)に帰国すると北京で習得した語学と毛織物の染色技術を使って、当時普及しはじめた洋服の元となる毛織物の製造をはじめた。明治13年共に北京で過ごした加藤書記長が帰国すると、恕作は彼の援助をうけて芝区白金台町に作業員20名ばかりの後藤毛織製造所を創立した。当初はなかなか事業が軌道に乗らず、負債を出した事もあったが、明治23年ころにやっと回復し、工場も白金から大井村(現東芝病院)に移して235名の作業員を抱えていた。さらに明治32年。この頃になると小学生でも洋服を着るようになり、それに伴って工場の敷地は2万坪を超え、従業員も1,200名の大企業となった。しかし翌明治33年の過剰生産恐慌と羊毛の価格暴落から多額の債務を生じ、休業に追い込まれる。そして「三井」の所有となって敷地を縮小しながらも、その後カネボウと合併、昭和40年まで操業された。